黄緑色のパンダと喋る方法
久しぶりにブログ書くか・・・。ってあれれ?みんなあんま書いてないな〜。まあ師走ですからね!忙しいんでしょう。では、わたくしが一筆・・・。
「偶然」って生きていると結構ありますね。街でばったり、とか「電話しようしよう、いやええかげんせなあかん」と思っていた友人から逆にかかってくるとか・・・。先日ちょっとした偶然がありました。とは言え別にびっくりする様な内容ではないんですが・・・。
前に好きだった子がいます。誠に残念ながら彼女はお嫁に行ってしまい、今はどの県に住んでいるかすら僕は知りません。だけどちょっと前に「どーよ新婚生活は?」的なメールを送ったりなんかして微妙に連絡取ったりしていたんですが、先日また久しぶりにメールを入れました。近況やら悩みやらの話をひとしきり終えた後、彼女からのメールに
「そういや、こないだメールくれた時、前もらった本をちょうど読み終わった時やったんや〜。あんまりにタイミングよくてビックリしたわ。すごいラブストーリーやったね。ありがとうね。」
って入っていたんです。その本はお別れする時に気持ちを込めてあげた、たしか東野圭吾の小説。失恋のちょっと切ない思い出でした。その本を読み終えた、そのタイミングでメールするとは、俺もやるねえ。(ちなみに結婚されてから初めてのメール)。もちろん、ただの偶然だけどちょっと嬉しくなりました。
僕らの住んでいる世界には無限の事象があって、その事象がクロスする時、偶然が起こるのかもしれません。実はビックリするような偶然は僕らが知り得ているより、もっともっと沢山あってそれは悲劇的なものかも知れない
し、喜ばしいものかも知れない。未来の話だと、なお未知数です。ただその気づかない無数の偶然に、『偶然』気づいた時、それが悲劇的であれば神や運命を憎むし、喜ばしいものであれば、神に感謝し愛の力なんかを思い浮かべるもんかなと思います。
哲学的なアプローチや、最近流行りの「スピリチュアルな」アプローチから偶然は必然に内包される、或は偶然は存在しない、とよく言われます。確かに事象一つ一つがつながっていると仮定すれば、それはその通りだし、そこに前世なんかの話を入れると、「生きる理由」に意味が付加されて楽になるかもしれません。
ただ、僕は無知な子供の頃の様に色んな「偶然」に喜怒哀楽してみたいな、とも思うのです。そこにどんな真実があるかは分からないけど、ふとそう思います。それはそれで、ともするとしんどい事なんでしょうけど・・・。
M
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